2009年12月25日金曜日

高橋源一郎 2009『13日間で「名文」を書けるようになる方法』を読む


私は文章を書く機会が多いため、よく「文章力」や「文章の書き方」といった類の本に目を通します。

この本も文章力関係の本をAmazonで探していて見つけたものです。

題名には「名文を書けるようになる」とありますが、一般的な意味での「名文」はこの本を読んでも書けるようにはならないと思います。

小手先の方法論の話は全くありません。「ことば」とは何か、「文章」とは何か、我々は世界をいかにして認識しているのか、といった深い問いを学生とともに考えていくというスタンスの本です。

本書のはじめのところに書いてある一文が、著者の立ち位置を明確に示しています。

みなさん、こんにちは。今日から、あなたたちと一緒に、文章の勉強をします。わからないことがあったら、なんでも、訊いてください。わかることなら、答えます。わたしにわからないことなら、一緒に考えてみましょう。ひとりよりふたりの方がわかるかもしれません。」(p. 7)

さらに筆者は、「名文」を書くためには、「見る」こと、「考える」ことが欠かせないと説きます。

語彙をたくさん覚えたり、美しい、あるいは、カッコいい、人びとを感心させるような言い回しを使えるようになったりすることと、「名文」を書けるようになることとの間には、なんの関係もないのです。」(p. 118)

まず、「部外者」として「見る」ことです。(・・・)それから考えることです。その時、あなたたちは、なにかを「考える」ためには、ことばが、「文章」が必要であることに気づくはずです。」(pp. 118-119)

学生たちも最初は戸惑っている様子ですが、徐々に著者に引きずられて「「わたし」という牢獄」から抜け出すこと(パラダイム・シフト)に成功しているようです。

別に13日間の講義を通して、学生の文章力(言い回しや語彙)が向上したわけはないでしょう。しかし、明らかに彼らの文章は変わっていきます。一つの文章で、より多くの感情、情景、意味、思考を運べるようになっていくように感じます。それはひとえに、彼らがよく「見て」、よく「考えた」結果なのだと思います。

こなれた「文章力」も良いですが、一度立ち止まって「文章」とは何かを考えてみる必要性があると思い知らされました。

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