2009年12月22日火曜日

「いのちの食べ方」を観る


昨日、DVDで「いのちの食べ方」を観ました。

劇場公開当初からすごく見たかった映画なのですが、どうしてもタイミングが合わず、ついに劇場では観ることができなかった作品です。


結論から言うと、なかなか良かったです。

この映画では一切のセリフとBGMをなくし、淡々と映像を見せる手法をとっています。
このような手法では、観る側を飽きさせてしまいかねないのですが、この映画では映像の力によってそのマンネリを防いでいると言えます。

内容を簡単にいえば、屠畜場や農園の作業風景映像です。それ以上でもそれ以下でもありません。ただ、感情を殺したような固定カメラの映像を淡々と流し続けるだけなので、面白くないと思う人も多いことでしょう。

しかし私は、この押し付けがましくない見せ方にこそ、この映画の良さがあると思います。「素材は提供するので、後は観る人が考えてください」という小気味の良い姿勢がそこにあるように感じるからです。

またこの映画では、就労者の食事風景と作業風景とを交互に見せています。このコントラストも私にとっては感銘をうけるものでした。いやがおうでも「生」と「死」について考えてしまいます。

「食べる」とは「他者の命を奪う」ことを意味します。

分かっているはずの事でも、まざまざと現実を見せられると様々な考えが頭をよぎります。

ただこの場合に大切な事は、他者の命を奪うことの是非を問うことではなく、我々の生活は他者の犠牲の上ではじめて成り立つものであることを知ることであると思います。

「無知」であることは時に罪になります。

そうやって考えていくと、身の回りにあふれる「当たり前」のことは、実は全く「当たり前」ではない、ということに気がつくのです。それぞれの来歴・由来があってはじめて眼前に姿を現すのだという事を肝に命じておくべきです。

このような事は、すでにたくさんの人が言っているけれども、常に確認しないと(私などは)すぐに忘れてしまいます。


ありがとうございます。
いただきます。

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