2010年1月28日木曜日

メモについて考えること


私はメモ魔と呼ばれるほどではありませんが、それでもメモ帳は肌身離さず身につけています。
コンビニにちょっと買い物に行くときも、トイレに行くときも携帯し、部屋にいるときも常に手の届く場所にメモ帳が置いてあります。


それはなぜか。答えは当然のことながら、いついかなる場合でもメモをとるためです。

以前は、メモをとる姿勢を話し手にみせることによって、話し手を真剣にさせることが肝要だと指摘しましたが、今回は別の角度から「メモ」というものについて少し考えを巡らせてみたいと思います。


まず、最も重要なのはメモの内容です。「何をメモするのか」ということですね。
これには大きくわけて二つの種類があると思います。

一つは、インプット情報です。
つまり、外界から入ってくる情報を(本当にすべての情報を記すわけにはいかないので)選別して、それをメモ帳に書き記すのです。
これにはタスクリストや予定、連絡先、住所などが挙げられ、覚えきれない情報を忘れないためにメモをするものです。

もう一つは、アウトプット情報です。
これは何らかの刺激に対する自らの反応を記すことです。
講演会に行った感想や書評、会話によって得た着想などがこの領域に含まれます。

「メモ」についての話をするときは、どうもインプット情報をいかに効率的に処理するかという点に重心が置かれがちです。
たしかにメモがインプットの機会に数多く活躍することは事実でしょう。私も院生という立場上、教授との会話の最中に突然重要な情報が飛び出した際に、それらを適切にキャッチするべくメモする事が多々あります。


しかし、メモにはインプットと同様に重要なアウトプットの側面もあることを私は指摘したいと思います。

人はいろいろな事を日常的に考えますが、それらは具体的なものではない場合が多いので、すぐに忘れてしまい、忘れたことにすら気づかないことが多々あると思います。

そういった日々の着想もメモ帳があるだけで、一気に具体性を帯びたものに昇華されます。
書くことによって思考がまとまりますし、以前に自分が考えていたことを振り返ることによってさらに思考を発展させることが可能になるからです。

過去の思考メモが効果的に保存されていることは、とても重要です。なぜなら現在の自分だけでは答えが出ない問題を解くのに、過去の自分の思考回路が有用であることがあり得るからです。たとえ直接の解決でなくとも、考えるヒントになることは多くあると思います。現在の問題に、過去のあらゆる時点における「自分」を総動員して対処するという構図が生まれることになります。

この構図を実現させるためには、メモを効果的に保存している必要があるのですが、それはまた別のお話。

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